「人工知能は私たちを滅ぼすのか 計算機が神になる100年の物語」刊行のお知らせ

人工知能は私たちを滅ぼすのか 計算機が神になる100年の物語 表紙

今日のIT業界で最大の話題は、間違いなく人工知能技術です。人工知能で自動運転ができるようになった、囲碁のプロに勝ったなど、人工知能の進化に関するニュースを目にしない日はないといっていいくらいです。

しかし、人工知能の歴史について少しでも知っている人なら、疑いの目を向けずにはおれないでしょう。今までも、2回の人工知能ブームがあり、そのたびに結果は幻滅に終わりました。今回は何か違うのか。

はっきり言います。今回はこれまでのブームとは異なり、賢い機械が本当に私たちの生活の中に入ってきます。インターネットは、情報/メディア産業などを根本からひっくり返しました。しかし人工知能の持つインパクトは、そうした産業を超えて、私たちの生活と仕事のあらゆる側面を根本から変えていきます。

20年前、Windows 95が発売されてインターネットブームが起こりました。20年を経た今、日本の情報/電機産業は、シリコンバレーのIT産業に完膚なきまでに叩きのめされました。それが失われた20年となり、大手電機メーカーの実質破たんと切り売りなどをもたらしました。

私は大変な危機感を抱いています。このままだと、今後の15-20年間、人工知能についてまったく同じことが起きるでしょう。そして、日本の産業は、おそらくこの競争にも負け、日本は経済や産業や科学技術のトップランナーの座から滑り落ちていることでしょう。

私には、小学一年生の甥がいます。本書は、彼と同い年の主人公が暮らす2030年の世界を舞台とした物語として描きました。その世界では、主人公は大学の卒業と就職を間近に控えています。その時、私たちは、彼らに、豊かで将来への希望のある社会を残すことができるでしょうか。私たちはそうした瀬戸際に立っています。

そのような思いで、本書を執筆しました。私がITに本格的に取り組み始めてから、早いもので25年も経ってしまいました。その間、更にはそれよりも50年もさかのぼって、コンピューターとITがどのように形作られ、世界を変え、そしてなぜ今のタイミングで人工知能が現実のものになりつつあるのか。その先にはどんな世界が待っているのか。一年間の時間をかけ、自分の経験と知識のすべてをこの一冊に注ぎ込みました。

コンピューター、IT、人工知能に詳しい方でも、そうでない方でも、これからの世界に対する見方が変わる。そんな本になったと自信を持っています。

発売は3/18で、現在Amazonなどで予約が可能です。Kindle版も同時に発売になる予定です。少しでもご興味を持っていただけたら、どうかさわりだけでも読んでみていただければと思います。

下記に、本書の冒頭を引用します。

はじめに

今から少しだけ未来の、2030年の世界を想像してみましょう。私たちの暮らしは、仕事は、どのように変わっているでしょうか。その変化をもたらす要因は何でしょうか。経済?国際政治?それらももちろん影響はあるでしょう。

では逆に、15年前と今とで何が一番違うでしょう?日本は相変わらず不景気でした。9.11のテロが起こり、「テロとの戦い」が始まった頃でした。

意外と大した変化は起こっていない?当時の写真や映像などを見ると、今と決定的に異なっている点が一つあります——誰もスマートフォンを持っていないのです。
21世紀に入ってから、スマートフォンやインターネットのようなITほど私たちの暮らしを変えたものはありません。かつて、ソニーの社長だった出井伸之氏は、「インターネットは古い産業を滅ぼす隕石である」と述べました。

今日、スマートフォンやインターネットに匹敵する、もしかしたらそれ以上のインパクトをもたらすパラダイムシフトがITの世界に起こっています。その中心にあるのは、人間のように知覚し、考え、行動する、人工知能の技術です。

人工知能の研究は、20世紀半ばに始まってから、長らく日の目を見ずに来ました。ところがこの数年間、開発が飛躍的に進み、見たり聞いたりするものを人間と同じレベルで認識したり、自動車を運転したり、中には高度な仕事やゲームでも人間を打ち負かすものが現れてきました。

人工知能は一体どこまで賢くなるのか。その結果、人間の仕事が人工知能に奪われたりするのではないか。さらにその先に、「ターミネーター」のように人類を滅ぼそうとするのではないか。そのような不安が、SFの絵空事ではなく、現実味を帯びてきています。

本書では、人工知能が私たちの暮らしや仕事にどんな影響を及ぼすのか、そして人工知能とどう向き合えばいいのか、といった疑問に答えたいと思います。
筆者は、実は人工知能の専門家ではありません。まだ10代だった90年代から20年以上にわたって、ユーザーインタフェースやユーザーエクスペリエンスと呼ばれる、人間とITの関係のデザインに取り組んできました。大学で博士号を取り、その後はIT企業の製品マネージャーや、IT製品開発のコンサル企業を創業するなどしてきました。
その中では、スマートフォンやインターネットをはじめ、バーチャルリアリティーやロボット、そしてもちろん人工知能などさまざまな種類のITにかかわってきました。

筆者のこのような経験から、本書では人工知能の技術的な側面というより、より大きなITというものの一部として、人工知能と私たちがどのような関係を作れば良いかということに焦点を当てています。

そのために、本書では、2030年に大学生をしているマリという普通の女の子が、100年にわたる人工知能の開発の歴史を学んでいくという構成をとっています。各章の冒頭で、人工知能が実現しているであろう2030年の世界について描き、それを実現する背景になる歴史について解説していきます。

人工知能と、スマートフォンやインターネットのようなITは、その成り立ちが一般に知られている以上に密接に関わっています。ITの歴史の中では、様々な開発者達が、それぞれの信念、アイデアのもとに人工知能やパーソナルコンピューターなどの設計思想(アーキテクチャー)を作っていきます。その歴史を知ることではじめて、現在と未来の人工知能について理解することができます。

そうした開発者たちの信念やアイデアへの情熱は、宗教家の信仰へのそれに通じるものがあります。彼らの究極のゴールは、私たちのように感じたり考えたりする心を持った機械を実現することです。人工知能を作るということは、もしかしたら私たち人間に許されていない、神の領域へ足を踏み入れることなのかもしれません。

そう考えた時に、人工知能のこれまでとこれからの行く末を読み解く手掛かりとして、キリスト教の聖書が一つの道しるべとなりました。人工知能の100年の物語が、聖書の物語と不思議なほどに符合していることは、著者自身にも正直言って驚きでした。

本書は、二部構成を取っています。

第一部 コンピューターの創世記においては、今日私たちが日常的に使っているパーソナルコンピューターやスマートフォン、インターネットなどのITがどうやって作られてきたかという歴史を紐解きます。そこでは、コンピューターと人工知能の概念を発明しながら、アダムとイブのように禁断の果実をかじって死んだ悲劇の天才アラン・チューリングの物語が中心となります。

第一部は、特に若い方など、今日の人工知能の背景となっているこれまでのコンピューターの発達について詳しくない方に向けて書いています。そうした歴史に詳しい方は、第二部から読んでいただいてもよいかと思います。

第二部 人工知能の黙示録においては、人工知能が急速に発達して神のような存在になっていくこと、その結果私たちの暮らしや仕事に起きる変化、さらにその先に訪れる「最後の審判」に迫っていきます。人工知能は、果たして私たちを救うのでしょうか、それとも滅ぼすのでしょうか。

さあ、その疑問に答えるため、マリたちと一緒に、100年の時空を超えた旅に出ましょう!この旅の終わりに、マリ、そしてあなたが、人工知能というものとどう向き合っていくのか、その答えを見つけてもらえればと思います。

VRとAIがもたらす次世代UI

Ginger bread man

(本記事は、UX Tokyo主催UX Advent Calendar 2015向けに書きました。)

2015年、タッチの限界

2007年にアップルがiPhoneに搭載したマルチタッチは、私たちがコンピューターと対話する劇的に新しい方法をもたらしました。特に携帯電話においては、それまでの物理キーを駆逐し、最もよく使われるUIとなりました。タッチは携帯電話にとどまらず、この8年の間にタブレット、さらにはPCにまで取り入れられてきました。

ですが、これらのタッチUIのイノベーションは、この短い期間でもやり尽くされた感があります。スマホの進化は大画面化や性能の漸進的な向上にとどまり、タッチを普及させた立役者であるアップルも大きな変化は起こせていません。今年のiPhone 6sシリーズの3Dタッチは新たなUIを提案するものですが、今のところ元のマルチタッチのようにパラダイムを変えるほどの変化にはなっていません。

タッチがUIとして優れているのは、手で触れるという行為が人間にとって直感的なものだからです。しかしその触れることが、そのままUIとしての限界にもなっています。例えばApple Watchに代表されるウェアラブル機器にもタッチで操作するものが多くありますが、小さい画面ではやはり無理があります。一方でSurface ProやiPad Proのような12インチクラスの画面を備えた「生産的なタブレット」も新たなトレンドになってきましたが、大きすぎるとまた手にあまるため、それらの機器ではスタイラスペンの使用が前提になっています。さらに、そうしたサイズになればもはや携帯機器としていつでもどこでも使うものではなくなってきます。

まとめると、タッチUIは4-10インチくらいの画面を備えた機器がスイートスポットであり、表示面積のあまりないウェアラブル機器や、より大きな表示を扱うのには向いていない。結果、デジタル機器が今のスマホやタブレットを超えて多様な生活シーンに入っていくためには、タッチではないUIを開拓する必要があるということです。

2015年という年は、タッチUIの限界が見えると同時に、その先にあるUIがかいま見える年でもありました。次世代のUIをもたらすと考えられるのは、二つの技術。それはVRとAIです。

VR/ARによって環境のすべてが情報になる

2015年のITの世界で最大の話題となった一つはVRでした。VRのブームのきっかけを作ったOculusが矢継ぎ早にプロトタイプを公開し、来年初頭には初の一般向けモデルを発売します。Oculusと連携しているサムスンは、本家に先駆けてGalaxy向けのGear VRヘッドセットを一般向けに発売しました(日本でも間もなく発売)。ゲーム業界からの参入もあり、特にソニーもPlayStation VRで家庭用VRゲームに参入します。

今ここではない環境に完全に没入することのできるVRの主なアプリケーションは、特に当初はゲームが中心になると考えられます。アトモスでも、VRゲームを試作してみました。

さらに、株式会社スポーツITソリューション様と、Kinectを組み合わせてVR空間の中でキックボクシングのエクササイズができるコンテンツの開発を行いました。(下の動画はChromeだと360度パノラマとして再生することができます。)

このように完全に没入するVRに対して、周りの視界を遮らずに、その中に仮想のオブジェクトを重ね合わせて表示するARも、今年は大きな注目を集めました。その代表例が、MicrosoftのHoloLensです。

アトモスでは、昨年から引き続きEarth Literacy Program様と、地球儀にARで情報をオーバーレイする地球メガネの開発を進め、仙台で開催された国連防災世界会議への出展などを行いました。

またちょっと特殊な形ではありますが、アスラテック株式会社様のV-Sidoを遠隔地のWebアプリからリアルタイム制御することのできる開発プラットフォーム「Web Controller for V-Sido CONNECT」、およびその上で動くAR的なUIを開発しました。

これまで見てきたように、VR/ARの表現によって、タッチパネルという物理的な板面に縛られず、環境のすべてや、その中の地球儀やロボットなどの物とインタラクトするUIが実現できるということがわかります。

アトモスでは、引き続きVR/ARを用いたUIのイノベーションを推進しています。

コンピューターはAIへと進化する

2015年さらに大きな注目を集め、ひょっとすると長期的にはVR以上の革新をもたらすと期待されるのが、AI技術です。

特にUIの観点からは、AI技術を用いた対話型エージェントが広く利用されるようになってきました。Apple Watchのようなウェアラブル機器、アプリに対応した新型Apple TVなどにおいて、AppleはSiriをUIとして積極的に用いています。IBMは2013年にクイズ番組で人間のチャンピオンを破って大きな話題を呼んだWatsonを外部開発者が利用できる開発環境を整え、コールセンターなどを中心に採用が進んでいます。また今年はPepperが発売され、店頭などで接客をする姿を普通に目にするようになりました。

AIは対話型エージェントという形に縛られず、ITサービスに大きなインパクトをもたらしつつあります。その一例が、今年GoogleがリリースしたGoogle Photoです。写真に写っている人や物をあまりにも正確に認識するので、便利であると同時にちょっと怖くなります。GoogleはまたTensol FlowやVision APIなど、そうした機械学習のライブラリをオープンソース化して公開しています。

Appleはともかく、IBMやGoogle、日本のPFNなどは、AI技術の積極的な開発に取り組むと同時に、その成果を積極的に外部開発者に公開し、自社のエコシステムに取り込もうと競争を繰り広げています。これはまずAndroidなどのモバイルOSのように、より多くのアプリ/サービス開発者の支持を得た方が優位に立つ、という事情があります。加えて、機械学習を活用するためには一般に大規模な学習データが必要です。テクノロジー企業は必ずしも特定領域の良質なデータを持っているわけではないので、そうしたデータを得るためにもライブラリは積極的に提供していくという流れになっています。

ではアプリやサービスの開発者は、今後この流れにどのように向き合えばよいのでしょうか。まず、ウェアラブルやIoT向けのUIの中では対話型エージェントの利用は広まると考えられるため、対話のインタラクションデザインに取り組む機会が増えるでしょう。さらに、より深くサービス設計に入っていく場合、機械学習ライブラリについての知見を得て、どのようなデータを入力すればどのような分析や分類や応答ができるか、といった知見が求められるようになっていきます。

AIはこのように、デジタルサービスのデザイン、ひいては社会全体に劇的な影響を中長期的に及ぼしていくことになります。実は今年、あるプロジェクトのために、かなり長期間にわたるAIのリサーチを行ってきました。来年の初めに、このプロジェクトについて公開することになりますので、乞うご期待。

2016年へ向けて

人々の役にたつサービスをデザインできるかどうかというデザイナーの役割は、いつの時代も変わることはありません。私たちテクノロジー領域のデザイナーは常に新しいテクノロジーを学び、それを誰よりも使いこなし、正しいカタチにデザインする能力が求められます。2016年は、かつてなく私たちデザイナーに大きなチャレンジが課せられる年となりそうです。

Happy holidays!

AppleとGoogleは宗教になった

Apple Watchがようやく届きました。自分のものになるとやっぱりワクワクしますね。これからどんな風に生活が変わるか、試していこうと思います。中学に入って、初めてMacを買ってもらった時から、新しいApple製品を買う時にはいつもこうしたワクワクがありました。何か自分の生活が変わる、自分の可能性が広がる、そんな気持ちにさせられる。

Apple Watch

僕は14で中学にMacのユーザーグループを作りました。あんまりMac雑誌ばっかり読んでいたので、コダマックとあだ名されていました。結婚した時には、嫁は古いダイナブックを使っていたので、そんなものはうちの敷居はまたがせんといって、Macにスイッチさせました。我ながら立派な信者だと思います。

コンピューターのOSの優劣を論じるとき、多くの人がなぜか宗教的になり、自分のプラットフォームを信者のように擁護し、他プラットフォームを異教徒のように攻撃します。MacとWindows、iOSとAndroid、よりマニアックなところでもBSD UnixとLinuxとか。そういえば、iPadが発表された時には、「こんなに話題になった板はモーゼの十戒以来」なんてジョークもありました。

こんなに話題になったタブレットは十戒以来

関係ない人から見ると、たかがコンピューターのOSじゃないかと思うわけですが、コンピューターを使うことが生活の中で大きな割合を占めている場合には、OSやプラットフォームというものは絶対的なもので、自分の利用する環境や、自分の行動を全部規定されてしまう。単純接触による結びつきもあるし、OSを否定されてしまうとそれは自分を否定されてしまうことに近い。だからこそ、OS論争は宗教的になります。

これまでは、コンピューターの中だけの話だったのですが、これからはAppleやGoogleのプラットフォームは、本物の宗教になるかもしれないです。それは、IoTの世界がやってくるためです。

最近のApple製品を見ると、個別の製品だけではなく、製品ラインナップをうまく構築し、iCloudとContinuityを通した連携によって囲い込みを進めています。僕の周りにも、自分も含めてスマホはiPhone、仕事はiMac、すると出先では軽量な新しいMacBookがほしくなり、最近のiPhoneは大きいからちょっと情報を確認したりするのにはApple Watchがほしくなり、と、完全に囲い込まれているような人を見かけます。一度こうなると、他のプラットフォームに移行するのは難しくなり、どんどん囲い込まれ、気づけば高価なApple製品をたくさん買っている。その結果が、23兆円という現金保有高です。

コンピューターとネットは、今後PCやスマホにとどまらない様々な形で私たちの体や環境に入り込んできます。Apple Watchのようなウェアラブル、あるいは家や自動車など。Apple Watchのワークアウトなどはいい例ですが、それらの技術は私たちがどのように生活するかを形づくっていきます。そして、それらの製品がスムーズに相互運用して動くためには、コンピューターのOS同様AppleやGoogleのアーキテクチャを使うことになるでしょう。

ローレンス・レッシグという経済学者がいます。クリエイティブ・コモンズの設立などで有名なのですが、レッシグの理論の中に、人の行動を規定する大きな力は規範/法/市場/アーキテクチャーだ、というものがあります。レッシグによれば、規範に基づいて法が作られ、法は市場または直接の規制を通してアーキテクチャーに働きかける。このようにして私たちの振る舞いを規定するアーキテクチャーが作られてきた。ゼロ年代にはよく参照され、特に東や濱野らによる環境管理論に繋がりました。

レッシグの提唱した行動を規定する四つの力

ところが、今や私たちの振る舞いを規定するアーキテクチャーは、個々の国の法だけでは縛れないAppleやGoogleといったグローバル企業によって規定されているわけです。例えば個々の家の単位で、どのプラットフォームを主にするかを決めてモバイルや家の設備などを選ぶことが必要になってきます。そして、Apple Watchのようなロゴ入りのウェアラブルを常に身につけて、常に自分の情報をプラットフォームに伝え続けるわけです。ここまでくると、これを宗教と呼ばずしてなんと呼んだらいいでしょうか。

Appleは、カトリックみたいなものです。一神教で、華やかで、たくさんのお金を要求する。一方のGoogleはプロテスタント的で、同じく一神教ではあるものの華やかではなく実用的で、直接的にはあまりお金を要求せず、誰に対しても開かれているという顔をする。これらに対して、WebやMozillaが体現するような、よりオープンでカオスな土着の多神教のような世界もあり得るとは思います。

いずれにしても、IoTの世界を生きる私たちは、宗教と付き合うようにAppleやGoogleといったプラットフォーマーと付き合わなければならないのです。