2017雑感

今年も今日一日を残すのみとなりました。一年を通して本業がとても充実しており成果も上がったのですが、それ以外にも印象に残る出来事が色々あったので、まとめてみようと思います。

Instagramから今年の9枚


「IoTは三河屋さんである-IoTビジネスの教科書」出版

「IoTは三河屋さんである」表紙
今年韓国でも発刊させていただいた「人工知能は私たちを滅ぼすのか」に続き、マイナビ新書さんから二冊目の著書を出させていただきました。前作よりも、より今日のビジネスに直結した内容になっていますので、IoTにご興味のある方にはご一読いただければ幸いです。特に、IoT製品の主役はインターネットおよびサービスの側であり、エッジのハードウェア側の付加価値向上によるコストアップは時に事業の成功には足かせになりかねない、という理解が広まればと思っています。


iPhone X

iPhone XコンシューマーIT製品における2017年最大の話題といえば、iPhone Xでしょう。幸い発売日に入手することができ、以来メイン機として愛用してきました。果たしてiPhone Xはアップルがいうような「スマホの未来」になるのでしょうか。現在手に入れることのできる最良のスマートフォンというファーストインプレッションに変わりはありません。これまでの4.7インチ画面のiPhoneとあまり変わらなず片手で扱いやすい本体サイズに詰め込まれた、ほぼベゼルレスの対角5.8インチの有機ELディスプレイは、確かに素晴らしいエクスペリエンスを提供してくれます。またカメラも歴代のiPhoneの中では最高で、被写体や周囲の光環境によらず美しい写真を撮ってくれます。ただしベゼルレス/ボタンレスにこだわったことにより、コントロールセンターと通知センターが扱いにくくなったり、ランドスケープモードの操作性が十分考慮されておらず動画を全画面表示にするとセンサーハウジングで一部隠されてしまったり、キーボードが使いにくいなど、UIデザイン上の綻びが散見されます。またFaceIDは指紋認証と比べて遅い、マスクをしていると使えない、Apple Payの認証が行いにくくなったなど、果たして本当に改良と言えるのか疑問も残ります。これまでのアップル製品でも、デザインのパラダイムが大きく変わった最初の世代の製品には磨き残しも多いものです。X世代のiPhoneが7や8と同程度に洗練されるまでには、まだ2-3世代待たなくてはならないでしょう。


反脆弱性-不確実な世界を生き延びる唯一の考え方

「反脆弱性」表紙
今年読んだ本は色々あれど、日本で出版された本の中ではこれがベストでした。今日のネットワークで繋がる世界は、相互の複雑な干渉によって高い不確実性、カオス性に晒されています。著者のタレブの専門であるトレーディングはその代表例です。代表作である「ブラック・スワン」から本作まで、タレブは一貫して、破滅的なリスクを避けるだけではなく、積極的にチャンスに投企する姿勢を推奨します。例えば今年ビットコインに投資した人などはその好例でしょう。コントロール可能な範囲でリスクをとることは、インターネット後の世界を生きていく上で避けては通れないのです。


ドラクエ11

ドラクエ11オープニング画面僕は10以外は全部クリアしてるんですが、7以降はイマイチ好きになれず、本作もあまり期待せずに始めました。しかし、蓋を開けてみたらシナリオ、キャラクター、ボリューム、ゲームバランスなど、シリーズ最高ではないかと感じるレベルの傑作でした。特に、これまでと異なり今作のプレイヤーは初めから「勇者」という特権的な立場には立たせてもらえません。むしろこれまでになかったような逆境が何度も襲ってきます。そのような場面の中で、ある登場人物が主人公にこんな言葉をかけます。「勇者とは、決して諦めない者のことです!」体験者が能動的に行動するゲームというメディアの特性を最大限に活かした物語でした。

またインタラクションデザインの観点から凄みを感じたのが、PS4/3DS(3D)、3DS(2Dドット絵)の3種類の全く異なる表現で同時リリースしたこと。マップデザインやバランス調整は実質3本のゲームを開発する手間がかかったはずです。本作はあらゆる意味で日本の国民的ゲームとしてのドラクエの集大成的な作品でした。


2017年はどんな年だったか

2017年は個人的にも公私ともに充実した年でした。IT産業を見ても、AI、IoT、xR、暗号通貨に代表されるような新しいトレンドが具体的な形になって現れてきた一年でもありました。それは、それらのテクノロジーが多くの人にとって体験できる形になってきたためだと思っています。今年は、これまでで最も自分自身がそうした体験の実現に関われた年だったのが何より嬉しいことです。来年も引き続き素晴らしい体験のプロダクトを作っていきたいと思います。


おまけ:夏休み@ハワイ

夏はお休みをいただいてオアフに行っていました。ダイヤモンドヘッドではハワイの大地に、サンドバーでは海に、ノースショアでは虹とサンセットに触れることができました。都会に暮らしていると忘れてしまう自分と地球との繋がりを取り戻せたように感じました。

ダイヤモンドヘッド
ダイヤモンドヘッド
サンドバー
サンドバー
ノースショアの虹
ノースショアの虹
ワイキキのサンセット
ワイキキのサンセット

トランプとAI、あるいは啓蒙の限界

2016年も残すところあと1日。今年もたくさんの方々にお世話になりました。個人的にも自分の会社からAmazonに入社したり、初めての著書を出すなど変化が大きかったですが、世界にとっても激動の一年でした。

特に、トランプ大統領の当選やBrexitなどは大きな驚きを持って迎えられました。いずれも共通していたのは、マスコミを含むいわゆるエスタブリッシュメントからの強い抵抗があったにも関わらず、国民の投票によって選択がなされたということです。その背景には、テクノロジーの発達とグローバリゼーションの進展がエスタブリッシュメントに利益をもたらす一方、多くの人々がその恩恵を感じられずにいる現実があります。

テクノロジーの生み出した大きな利潤は一部の企業などが独占し、ピケティが指摘したように格差は拡大する一方。今後のAIとロボットの発達は、多くの雇用の喪失をもたらすでしょう。そしてグローバリゼーションは経済全体としてみれば拡大をもたらすものの、差別化のできない労働者にとっては外国の低賃金の労働者、または移民との競争を意味します。さらに中東の不安定化に端を発するテロの頻発も、排外主義の台頭に拍車をかけていきます。

このような現状は、今生きている私たちが自明のものと思っていた科学技術の恩恵への信頼やグローバリゼーションの肯定、ひいては理性主義や人権意識といったより根源的な価値観までもを揺さぶるにいたっています。

AIの時代の訪れ

特に私の専門領域であるテクノロジーの分野においては、世の中がモバイルインターネットに熱狂する水面下で、大きなパラダイムシフトが進んでいました--もちろん今年巷でも大きな注目を集めたAIです。2012年からの数年の間に、ディープラーニングに代表される機械学習技術の成果を耳にするようになってきており、個人的にも注目していました。人間の認知/判断/行動の能力を機械が肩代わりできるようになれば、その経済的/社会的インパクトはインターネットと同等かそれ以上になるのは明らかです。

そんな中で、たまたまITの歴史についての本を書かないかというお声がけをいただき、素人なりに勉強をして書いたのが「人工知能は私たちを滅ぼすのか」です。おかげさまで大きな反響をいただき、Amazon計算機カテゴリ1位、楽天テクノロジーアワードRuby prize、代官山蔦屋書店2016年上半期ベスト(科学/技術部門)などの成果を上げることができました。また多くの専門家や有識者の方と意見を交わす機会にも恵まれました。

啓蒙の弁証法

そんな中の一人で、玉川大学で哲学を教えられている岡本裕一朗先生とお話しした際に、「啓蒙の弁証法」という哲学書について教えていただきました。これはもう70年も前の本ですが、著者らはナチスドイツを逃れてアメリカに渡った亡命者たちでした。実はこの著者たちが取り組んだ問題は、上で述べた今日の世界のそれにとても近いものでした。

近代の世界を形作った啓蒙思想というものは、自然および宗教の抑圧から人間を解放しようとしたもので、結果的に科学主義や民主主義、平等主義などをもたらしました。しかし、ナチスはそのような啓蒙に対する反動だったかというと、民主的な選挙で政権を奪取しており、しかも科学技術への高い熱意で知られていました。

このような逆説がなぜ生じるのか、という疑問に対する著者らの答えは以下の通りです。人間は、自然や宗教を理性によって客体化することで、迷信や恣意性から逃れて理解/操作できるようにすることでその特権性を解体して征服しました。その結果訪れたのが、私たちの生きる近代の世界です。ところが、啓蒙の論理は、人間以外の自然だけでなく、人間自身にも適用することが可能です。その結果、人間の尊厳や存在の意味も、自然や宗教に対して行われたのと同様に疎外してしまえます。ナチスがユダヤ人や障害者らに対して行ったあまりにも非人間的な所業は、このように啓蒙と理性そのものに内在する性質によってもたらされたというのです。

これは70年前の議論ですが、ビッグデータとAIが私たちを客体化する今日の状況をあまりに正確に描写していて驚きます。IoTとウェアラブルデバイスは、私たちをますますビッグデータの束として客体化するでしょう。そして経済と労働の社会システムは、生産性の旗印のもと私たち一人一人の生を、効率的に運用するようになります。

新しい対立軸

現代のエスタブリッシュメントが、トランプ大統領の誕生やBrexitの可能性を見誤ったのは、啓蒙という価値観の恩恵に預かる側であるため、その絶対性を信じて疑わなかったからです。ですが、多くの人々は今、テクノロジーとグローバリゼーションという啓蒙の申し子が、自らに奉仕するものではなく、むしろ疎外するものだと感じるようになっています。その結果が、啓蒙の価値観からすれば反動的と思えるような意思決定が立て続けに起こるという事態です。

このように、2016年という年は多くの歴史的な事件が起こりましたが、その背景にはより大きな世界観、価値観の揺らぎが生じています。アドルノとホルクハイマーは、啓蒙が自らの危険性を乗り越えるためには、自らの暴力性についての理性による反省が必要だと論じました。これはそのまま私たちテクノロジー産業の当事者にも当てはまります。私たちがテクノロジーを人間の尊厳や価値と一致させるようにデザインしない場合、そこにはとてつもない人間の疎外、そして疎外された人間からの苛烈な反撃が待っているでしょう。

IA/UXプラクティス:実務家が実務家のために書いたUXの教科書の決定版

ネットイヤーの坂本貴史さんは日本のWeb業界における情報アーキテクト(IA)の先導的存在でした。僕も常々坂本さんのブログbookslopeで勉強させていただいています。また坂本さんは2011年に刊行されたIAの教科書「IAシンキング」でも知られています。

この5年間でWebのランドスケープは随分様変わりしました。最大の変化は、タッチポイントのデバイスとしてモバイルが主流になったことです。結果としてのアプリの広まりやタッチポイントの多様化などに伴い、UXデザインやサービスデザインへの関心も高まってきました。私がUXデザイン事業を立ち上げたのものそうした流れの中でした。

こうした変化に対して、少なくとも国内においては、個々のデザイナーが実務のプロセスの試行錯誤を行ってきました。世界を見ても、モバイルの時代のUXデザインの方法論を体系だってまとめたものはほとんど見当たりません。

坂本さんが今回出版された「IA/UXプラクティス モバイル情報アーキテクチャとUXデザイン」は、モバイル時代のUXデザインの教科書として、決定版といってよいものです。実務家の視点から書かれており、実務に関わるあらゆる人にとって読む価値があります。特に、こうした仕事に新しく就く人にとっては最適な教科書だと言えます。

ここから先は、本書の章別にコメントをしていきます。

1 UXデザインのとらえ方

UXそのもの、およびそのデザインはいずれも掴みにくい概念であり、人によって定義が異なったりします。本書ではまず、ISO-9241-210やUX White PaperやPeter MorvilleのUXハニカムなどの基本的な定義を参照しつつ、IA、ユーザビリティ、HCD、リーンといった周辺領域との関係を整理していきます。

2 モバイルのUXデザイン

ここでは、デスクトップとの利用状況の違いからモバイルのデザインにおける基本的な注意点、タッチ/ジェスチャー、解像度とレスポンシブなど、モバイル向けのデザインに必要となる基礎的な知識をまとめています。

3 モバイルにおける情報アーキテクチャ

ここはIAとしての坂本さんの本領発揮といったところ。情報構造に関するパターンと、表示方法(ナビゲーション)のパターンとを紹介するとともに、それらの関係を整理していきます。

一点気になったのが、情報構造としての階層型とマトリョーシカ型の差異がわかりにくかったこと。これはユーザーが実際に階層のドリルダウンを行うインタラクションの中で、必ずしも深掘りするだけでなく、より上位の浅い階層に戻る場合もあるかどうかの違い、と読み取れましたが、情報構造自体についてどれだけの違いがあるのか、いまいちイメージできませんでした。(教えて坂本さん!)

あとモバイルのナビゲーションは本書にも記されている通りアニメーションを使ったダイナミックなものが増えているので、紙の本ですべてを理解するのは難しいです。本書ではサンプルのリンクも数多く示されているので、それらを参照しながら読み進める必要があります。

4 問題解決としての情報アーキテクチャ

ここでは、情報アーキテクチャ設計のより具体的な進め方を示しており、コンテンツ構造設計や検索/ナビゲーション、プロトタイピング、デザイン原則やデザイン言語の利用法について紹介しています。具体的なツールや方法論が詳しく紹介されています。

5 UXジャーニーマップと可視化

様々なタッチポイントを含むモバイル時代のUXデザインは、画面遷移図の中に収まらなくなってきています。結果として、カスタマージャーニーマップやストーリーマッピングと呼ばれる、よりユーザー視点で抽象化されたユーザー体験の可視化手法が用いられるようになってきました。この数年間自分が事業会社やアトモスでUXデザインを行う中でも、ジャーニーマップを設計の中心に用いてきました。

IAシンキングと本書の差分として最も大きい点の一つが、このジャーニーマップについて詳細に紹介していることです。特に、繰り返し強調されるのが、仮説を整理する/問題を発見する/問題への解決策を見つけるなど、具体的な目的を設定してジャーニーマップを作ることの重要性です。ジャーニーマップがともすれば作って満足してしまって終わりになってしまうことは実際によく起こることなので、本書ではこの点が繰り返し強調されています。

Appendix

本書の残りの部分では、GUILDの深津さんとのアプリのUIデザインについての掘り下げたディスカッション、またゼネラルアサヒの稲本さんによるECサイトのLPパターンについて、グッドパッチの村越さんが事業会社におけるUXデザインの取り組みについて書いています(この部分は明言されていませんが村越さんのグリーでのご経験に基づいていると思われます)。

次いで、坂本さん自身が開発中のジャーニーマップ作成ツールUX Recipeについての紹介があります。Webで、あるいはモバイルでのエスのグラフィ調査などから簡単にジャーニーマップを作成し、企画書などに貼り付けるアウトプットを簡単に作れるツールだということで、自分でも試してみようと思っています。

まとめ

このようにモバイル時代のUXデザインについて、体系だってまとめるとともに、実務レベルでの方法論や注意点をまとめた、稀有な本となっています。こうした実務を行っている人なら、多かれ少なかれ本書で紹介されているような方法論を用いているでしょうから、本書を通して知識の再整理を行うことができます。また、これからUXデザインの仕事に就く人であれば、本書を通して仕事の流れや必要なツールについて一通りの知識を身につけることができるでしょう。

日本のUXデザインの業界において、待望されていた一冊ということができます。

「人工知能は私たちを滅ぼすのか 計算機が神になる100年の物語」刊行のお知らせ

人工知能は私たちを滅ぼすのか 計算機が神になる100年の物語 表紙

今日のIT業界で最大の話題は、間違いなく人工知能技術です。人工知能で自動運転ができるようになった、囲碁のプロに勝ったなど、人工知能の進化に関するニュースを目にしない日はないといっていいくらいです。

しかし、人工知能の歴史について少しでも知っている人なら、疑いの目を向けずにはおれないでしょう。今までも、2回の人工知能ブームがあり、そのたびに結果は幻滅に終わりました。今回は何か違うのか。

はっきり言います。今回はこれまでのブームとは異なり、賢い機械が本当に私たちの生活の中に入ってきます。インターネットは、情報/メディア産業などを根本からひっくり返しました。しかし人工知能の持つインパクトは、そうした産業を超えて、私たちの生活と仕事のあらゆる側面を根本から変えていきます。

20年前、Windows 95が発売されてインターネットブームが起こりました。20年を経た今、日本の情報/電機産業は、シリコンバレーのIT産業に完膚なきまでに叩きのめされました。それが失われた20年となり、大手電機メーカーの実質破たんと切り売りなどをもたらしました。

私は大変な危機感を抱いています。このままだと、今後の15-20年間、人工知能についてまったく同じことが起きるでしょう。そして、日本の産業は、おそらくこの競争にも負け、日本は経済や産業や科学技術のトップランナーの座から滑り落ちていることでしょう。

私には、小学一年生の甥がいます。本書は、彼と同い年の主人公が暮らす2030年の世界を舞台とした物語として描きました。その世界では、主人公は大学の卒業と就職を間近に控えています。その時、私たちは、彼らに、豊かで将来への希望のある社会を残すことができるでしょうか。私たちはそうした瀬戸際に立っています。

そのような思いで、本書を執筆しました。私がITに本格的に取り組み始めてから、早いもので25年も経ってしまいました。その間、更にはそれよりも50年もさかのぼって、コンピューターとITがどのように形作られ、世界を変え、そしてなぜ今のタイミングで人工知能が現実のものになりつつあるのか。その先にはどんな世界が待っているのか。一年間の時間をかけ、自分の経験と知識のすべてをこの一冊に注ぎ込みました。

コンピューター、IT、人工知能に詳しい方でも、そうでない方でも、これからの世界に対する見方が変わる。そんな本になったと自信を持っています。

発売は3/18で、現在Amazonなどで予約が可能です。Kindle版も同時に発売になる予定です。少しでもご興味を持っていただけたら、どうかさわりだけでも読んでみていただければと思います。

下記に、本書の冒頭を引用します。

はじめに

今から少しだけ未来の、2030年の世界を想像してみましょう。私たちの暮らしは、仕事は、どのように変わっているでしょうか。その変化をもたらす要因は何でしょうか。経済?国際政治?それらももちろん影響はあるでしょう。

では逆に、15年前と今とで何が一番違うでしょう?日本は相変わらず不景気でした。9.11のテロが起こり、「テロとの戦い」が始まった頃でした。

意外と大した変化は起こっていない?当時の写真や映像などを見ると、今と決定的に異なっている点が一つあります——誰もスマートフォンを持っていないのです。
21世紀に入ってから、スマートフォンやインターネットのようなITほど私たちの暮らしを変えたものはありません。かつて、ソニーの社長だった出井伸之氏は、「インターネットは古い産業を滅ぼす隕石である」と述べました。

今日、スマートフォンやインターネットに匹敵する、もしかしたらそれ以上のインパクトをもたらすパラダイムシフトがITの世界に起こっています。その中心にあるのは、人間のように知覚し、考え、行動する、人工知能の技術です。

人工知能の研究は、20世紀半ばに始まってから、長らく日の目を見ずに来ました。ところがこの数年間、開発が飛躍的に進み、見たり聞いたりするものを人間と同じレベルで認識したり、自動車を運転したり、中には高度な仕事やゲームでも人間を打ち負かすものが現れてきました。

人工知能は一体どこまで賢くなるのか。その結果、人間の仕事が人工知能に奪われたりするのではないか。さらにその先に、「ターミネーター」のように人類を滅ぼそうとするのではないか。そのような不安が、SFの絵空事ではなく、現実味を帯びてきています。

本書では、人工知能が私たちの暮らしや仕事にどんな影響を及ぼすのか、そして人工知能とどう向き合えばいいのか、といった疑問に答えたいと思います。
筆者は、実は人工知能の専門家ではありません。まだ10代だった90年代から20年以上にわたって、ユーザーインタフェースやユーザーエクスペリエンスと呼ばれる、人間とITの関係のデザインに取り組んできました。大学で博士号を取り、その後はIT企業の製品マネージャーや、IT製品開発のコンサル企業を創業するなどしてきました。
その中では、スマートフォンやインターネットをはじめ、バーチャルリアリティーやロボット、そしてもちろん人工知能などさまざまな種類のITにかかわってきました。

筆者のこのような経験から、本書では人工知能の技術的な側面というより、より大きなITというものの一部として、人工知能と私たちがどのような関係を作れば良いかということに焦点を当てています。

そのために、本書では、2030年に大学生をしているマリという普通の女の子が、100年にわたる人工知能の開発の歴史を学んでいくという構成をとっています。各章の冒頭で、人工知能が実現しているであろう2030年の世界について描き、それを実現する背景になる歴史について解説していきます。

人工知能と、スマートフォンやインターネットのようなITは、その成り立ちが一般に知られている以上に密接に関わっています。ITの歴史の中では、様々な開発者達が、それぞれの信念、アイデアのもとに人工知能やパーソナルコンピューターなどの設計思想(アーキテクチャー)を作っていきます。その歴史を知ることではじめて、現在と未来の人工知能について理解することができます。

そうした開発者たちの信念やアイデアへの情熱は、宗教家の信仰へのそれに通じるものがあります。彼らの究極のゴールは、私たちのように感じたり考えたりする心を持った機械を実現することです。人工知能を作るということは、もしかしたら私たち人間に許されていない、神の領域へ足を踏み入れることなのかもしれません。

そう考えた時に、人工知能のこれまでとこれからの行く末を読み解く手掛かりとして、キリスト教の聖書が一つの道しるべとなりました。人工知能の100年の物語が、聖書の物語と不思議なほどに符合していることは、著者自身にも正直言って驚きでした。

本書は、二部構成を取っています。

第一部 コンピューターの創世記においては、今日私たちが日常的に使っているパーソナルコンピューターやスマートフォン、インターネットなどのITがどうやって作られてきたかという歴史を紐解きます。そこでは、コンピューターと人工知能の概念を発明しながら、アダムとイブのように禁断の果実をかじって死んだ悲劇の天才アラン・チューリングの物語が中心となります。

第一部は、特に若い方など、今日の人工知能の背景となっているこれまでのコンピューターの発達について詳しくない方に向けて書いています。そうした歴史に詳しい方は、第二部から読んでいただいてもよいかと思います。

第二部 人工知能の黙示録においては、人工知能が急速に発達して神のような存在になっていくこと、その結果私たちの暮らしや仕事に起きる変化、さらにその先に訪れる「最後の審判」に迫っていきます。人工知能は、果たして私たちを救うのでしょうか、それとも滅ぼすのでしょうか。

さあ、その疑問に答えるため、マリたちと一緒に、100年の時空を超えた旅に出ましょう!この旅の終わりに、マリ、そしてあなたが、人工知能というものとどう向き合っていくのか、その答えを見つけてもらえればと思います。

デザインのできることとできないこと-World IA Day Tokyo 2016に参加して

WIAD 2016 TOKYO JAPAN

Information Architecture Instituteが主宰するWorld IA DayのTokyoに参加してきました。今年のローカルテーマとしてはイーライ・パリサーが著書「閉じこもるインターネット――グーグル・パーソナライズ・民主主義」で主張した「フィルターバブル」の問題についてでした。

コンセントの長谷川さん、スマートニュース編集長の松浦茂樹さんや、ニュースピックスでインフォグラフィックス・エディターを務める櫻田潤さんらが講演を行い、またリクルート/Mediumの坂田さんを交えて、山本郁也さんのモデレートのもとトークセッションが行われました。

フィルターバブルについてざっくり言うと、Googleの検索結果やFacebookのタイムラインにおけるパーソナライズが、個々のユーザーの情報環境を分断し、結果的にコミュニケーションの断絶、新しい情報との出会いの減少、ひいては民主主義の危機までをも招くという問題意識が表明されました。

長谷川さんによれば、大学で教えられている学生さんと話していても、GoogleやFacebookのパーソナライゼーションや、その結果としてのアクセスできる情報の偏りには無自覚だという懸念が挙げられていました。

しかし、僕は講演やセッションを聴いていて、根本的にこのフィルターバブルという問題に違和感を感じました。フィルターバブルを作り出している具体例として、GoogleやFacebookやAmazonが挙げられていましたが、自分の感じ方としてはこれらが存在することで新しい情報に出会う機会は増えても、そうした機会が減っているとは感じないためです。

問題は、フィルターについて議論している時に、フィルター前の情報の絶対量や、フィルター後の選択の幅を考えなければ、全体としての情報アクセスの良し悪しは言えないという点が見過ごされていることです。実際、下記の @securecatさんのツイートによれば、インターネットの普及と前後して、平均的に消費される情報の絶対量は33倍、選択可能な情報量に至っては530倍というデータがあるそうです。

こうした状況を考慮すると、フィルターバブルについての問題意識の原因を、GoogleやFacebookといった情報システムの側、ひいてはその中で情報設計という部分を担当するIAに帰するのはあまり説得力がないと思います。むしろ、受け手側の意識やリテラシーの問題の方が大きいと言えます。

(2016/2/21追記)英語版Wikipediaの「Filter bubble」の「Reactions」の節:Googleの検索結果などについての学術的な検討によれば、パーソナライゼーションにより生じる差異は軽微であり、また個人のプロファイルに基づく音楽レコメンデーションサービスなどでも選好の偏りではなくむしろ発見の広がりを促す効果が見られたとの事例が紹介されています。

登壇者の皆さんからも、IAの立場からそうした受け手に対する啓蒙や、フィルターの設計について理解できるよう表現すべきという意見は出ました。そうした努力は望ましいものではありますが、一方でそもそもの興味関心や意識が低い受け手に対してどれくらい有効性があるのかは大きな疑問があります。教育や業界団体の倫理規定の制定など、実務の外のアプローチが必要でしょう。

金づちを持っていると全てが釘に見える、というアフォリズムがあります。最近デザインの業界の集まりなどに参加して感じるときがあるのですが、デザインを生業にする人間としてはあらゆる問題に対してデザインで解決策を見つける、あるいはデザインが社会に対して全般的な責任を負っているように思ってしまうことがあります。

しかし、事業活動の中だけで考えても、デザインはその構成要素の一つでしかありません。だいたい実務の現場で、デザイナーが意思決定の権限を持っているということは稀です。ビジネスオーナーや、場合によっては実装の担当者などの持っているインフルエンスの方が大きい場合は多々あります。そうした中で、デザイナーが持てる権限と責任の現実的な範囲というものがあります。

ここまで読まれて、僕がデザイナーという職能を悲観的に考えていると思われるかもしれませんが、それは全然違います。むしろデザインが担える役割というものは一般に過小評価されていると思います。しかしそれは、現実のプロダクトやコンテンツを通じて達成できるものです。そこの線引きなしにデザインにできることを過大に捉えるのもまたどうかと思ってしまうわけです。

農業からイノベーションとアントレプレナーシップの本質を考える

今日、農業経営の専門学校である日本農業経営大学校で、松尾和典先生にお招きいただき、「アントレプレナー論」で講義をしました。「事業創造のための顧客体験デザイン」と題して、UXデザインの取り組みについてお話をしました。またカスタマージャーニーマップを作るワークショップを実施し、サービスデザインを体験してもらいました。

グループワークの様子

グループワーク発表の様子

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さよなら、インタフェース -脱「画面」の思考法

さよなら、インタフェース表紙

インタフェースデザイナーにとってはなかなか刺激的なタイトルのこの本を読んでみました。著者のゴールデン・クリシュナはアラン・クーパー(VisualBasicの開発者で「ペルソナ」の生みの親としても有名)のクーパーデザインに勤めた後、サムスンやザッポスでUXを担ってきたデザイナー。

著者のメッセージは3つ。

1)画面の中で考えるのではなく、行為の流れを考えよう

これは、カスタマージャーニーといったUXデザインの基本をおさえていればいい話ですね。スマートデバイスのマルチデバイス化やIoTによって、タッチポイントが分散化して、非デジタルのタッチポイントも含めた経験デザインをしないとならない状況が表れています。

2)テクノロジーによって人間に使いこなされる、人の手間を増やすのではなく減らすシステムを作ろう

マーク・ワイザーが提唱したユビキタス・コンピューティングの概念が紹介されているように、主にはセンサー情報などのコンテキスト情報を使ってユーザーが入力しないとならない情報を減らそうという話。昔は研究でしか議論されなかった概念が、スマホやIoTなど様々なセンシングが可能なデバイスが普及したおかげで、実務においても議論されるようになったのは感慨深いです。

3)一人一人に合わせる

パーソナライゼーションの話。特に目新しい話はなし。

ということで、個人的にはタイトルの割には目新しい話はありませんでした。著者のいう「インタフェース」の概念はワイヤーフレームで表現されるような「画面上のインタフェース」に限られており、マルチタッチポイントのカスタマージャーニーやセンサーによるコンテキスト情報の活用などは「インタフェース」には含まれないようです。エクスペリエンスデザイン/インタラクションデザインの実務家なら、今の世の中であればこれらを意識していないとしたらその方が問題かと思います。

ただ、実務家の中でIoTのためのUXデザインとは何かという検討が始まったというのが、このような本が出てくる背景なのだと思います。議論としては一回され尽くした内容なので、今後商用のプロダクトの中にこうした考え方がどう反映されてくるか(反映していくか)に興味を持っています。

凛女のススメ

凛女のススメ 表紙

(著書のお一人である荻原実紀さんからご献本いただきました。)

かつて、ウーマンリブという運動がありました。男女の役割分担、もっといえば女性の担う役割が限られていた中で、公民権運動の流れを受けて男女の社会的機会の均等を求めたものです。日本においても、男女機会雇用均等法の成立につながり、女性のキャリアの可能性は大きく広がりました。ただ当初の運動は、女性が男性と同等になるという意識が強く、たとえばキャリアウーマンのスタイルにしても80年代のパッド入りショルダーに代表されるように肩肘の張った、あたかも男性そのものになることを目指すものでした。

今でも国内の上場企業の役員に占める女性の割合はわずか2.9%(日経新聞調べ)と、やはりキャリア形成には性差による不平等があるのは厳然たる事実です。一方では、ウーマンリブの時代から二世代ほどが経過し、女性のキャリアは男性から勝ち取るものという言ってしまえば競合的なものと捉えるのではなくなってきたように思います。結婚や出産や美容のような女性のライフスタイルもポジティブに受け入れながら、うまくキャリアとのバランスを取っていく、そんなしなやかさを持った素敵な女性を、身の周りにも少なからず見かけるように思います。

本書は、そんな前向きかつ自立したキャリアを育んできた女性を「凛女」と名付け、そんな凛女20名からなる「凛女推進委員会」が、凛女を目指す人へ向けて、キャリアから結婚、子育て、美容や健康、はてはお金のことまで、専門的な知見と個人的な経験との両方からつづった一冊です。

執筆者の一人であり友人でもある感性デザインコンサルティングCOTOVIA代表の荻原実紀さんは、大手事務所から独立して自らのデザイン事務所と、事業会社をもう一社経営しながら、趣味のオペラにも熱心に取り組まれ、最近は宇和島伊達家の当主でいらっしゃる伊達宗信さんとご結婚され、ご夫婦で宇和島の文化の保存と継承にも取り組まれています。まさに凛女そのものと言っていい方です。

僕はもちろん男性なわけですが、妻はフルタイムで働いており、それぞれの仕事を精いっぱいがんばりながら、家のことなどもなんとか分担しながらやっています。それははっきりいって簡単ではなく、正直割り切って役割分担をしてしまえば楽だと思うこともあります。それでも、妻には自分のキャリアを持っていてほしいと思いますし、自分は自分で自分の生活のことをやっていると、それが実は生活者のことを肌で理解できるようになるため、自分の仕事にもポジティブな影響を与えていると思います。

キャリアも充実させながら、女性としての生活も楽しむ。そんなステキな凛女が増えれば、世の中はもっと明るくなるはず。特に、今後少子化によって働き手が減り、移民の受け入れの政治的なコストも高いと考えられる日本では、女性のキャリアアップが、経済の活性化の面でも必要性を増しています。本書は女性のみなさんには広く受け入れられると思いますが(実際アマゾンで3カテゴリーでベストセラー1位になったそうです!)、男性のみなさんも、パートナーや仕事仲間の女性がもっと輝けるように何ができるかのヒントが得られるでしょう。

人工知能は人類を滅ぼすか-「人工知能 人類最悪にして最後の発明」

人工知能 人類最悪にして最後の発明 表紙

ダイヤモンド社様よりご献本いただきました。

この数年の人工知能の発展は目を見張るものがあります。Googleの新しいPhotoサービスなどでも機械学習による内容の認識の精度は、少し怖くなるくらいです。このまま人工知能が進化を続ければ、いつか人間を上回るくらい賢くなり、人類の敵になるようなこともあるのではないか。そんな懸念は長らくSFの話だと思われてきましたが、現実的な脅威としての検討が必要になりつつあります。

筆者は、人工知能の専門家ではなくドキュメンタリー映画の監督ですが、シンギュラリティー論で知られるレイ・カーツワイル、MITの人工知能研究所長を勤めたロドニー・ブルックス、「2001年宇宙の旅」のアーサー・C・クラークらにインタビューするうちに、AIが一般的に考えられているよりも急速に人間を超えるほど進化すると思うようになります。同時に、そうして進化した人工知能が、私たち自身のように人間のためになるよう振る舞うのは、私たちが物事を擬人化してしまう希望的観測でしかないと主張します。

筆者が特に強調するのは、人工知能が人間と同等(Artificial general Intelligence)になった瞬間に、人工知能は自らをより賢く再設計できるようになる。しかも、そのような進化を人間と異なり即座に行うことができるため、あっという間に人間とは桁違いに賢くなっていってしまう。これはカーツワイルらがシンギュラリティー論でも主張している論点です。そのような超知能(Artificial Super Intelligence)は、人間がアリのことを気にかけないように、人間のことは気にかけないだろうと述べます。結果、高い確率でASIは人類を滅ぼすことになるだろうと。

筆者は、同様の問題意識を持った個人や団体との対話を通じて、このような危機意識を確信に変えるとともに、人工知能が人類の敵にならないように取れる方法を探っていきます。

筆者の抱くこのような危機感は、決して杞憂とはいいきれません。ビル・ゲイツ、イーロン・マスク、ビル・ジョイのような先端技術に造詣の深い専門家が、同様の懸念を表明しています。それくらい、近年の人工知能の進化が飛躍的なものだという点は、僕も同感です。

一方で、筆者は技術のバックグランドではないため、様々な専門家の話を聞きそうした人々の論文や著述を読み込んでいるものの、技術のディテールについての記述はあまりなく、その点が人工知能技術の現状についてのリアリティを感じにくくしています。

公開されている人工知能システムやロボットは、パターン認識に基づく行動については高い性能を発揮するようになっているものの、状況に応じた自律的な判断を行ったり自ら目的を設定するまでには至っていません。筆者が危惧するような、自分を自律的に設計し直すほど高度な知能とは、まだ大きな開きがあります。もちろん、筆者やカーツワイルが主張するように、指数関数的に性能向上するITに支えられて人工知能技術が同じペースで進化することで、短期間(10〜20年程度?)にそのようなAGIにたどり着く可能性はあります。

人工知能にかかわる人や、興味のある人であれば、その危険性についてきちんと考えておくのは必要なことだと思います。本書は、そのような議論への、優れた入り口を提供してくれます。

職人の光と影:アイブはAppleのUIを立て直せるか

Appleのインダストリアルデザイングループを長らく率いてきた、ジョナサン・アイブの評伝が和訳されて刊行されました。ジョブズの在中から、ジョブズ以外でほぼ唯一対外的な発信に携わってきたこともあり、製品開発の主導的な役割を果たしていると言われてきました。本書を読むと、彼とそのチームが、製品の企画から製造工程まで、これまで知られてきた以上に大きな役割を果たしてきた一端が垣間見えます。

本書はアイブの家庭環境についての記述から始まります。アイブの父マイクは腕のいい銀細工職人であると同時に優れたものづくりの教育者でもあり、そうした血筋と環境がアイブのデザインの才能を育んでいきます。製品に見られる偏執狂的なまでの細部へのこだわりが、いかにして磨かれていったかがわかります。ジョブズは偉大なビジョナリーでしたが、アイブに代表されるような、実務のディテールを知り尽くした職人の存在なしには、今日のAppleの製品が具現化することはなかったでしょう。その姿はただただエキサイティングであり、今日のものづくりに関わる人であれば、必ず得るものが多々あるでしょう。

企業の中で成功を収めるのは、決して綺麗事だけではありません。NeXT時代からジョブズのハードウェアを支えたジョン・ルビンシュタインや、「iPodの父」として知られるトニー・ファデル、MacOS XやiOSの開発責任者を務め一時はCEO候補とも言われたスコット・フォースタールらがAppleを離れた影には、アイブとの確執があったとも述べられています。

特にフォースタールの退社後、アイブはソフトウェアのUIも担当するようになります。その成果がiOS 7以降やMacOS X Yosemiteのフラット化したUIです。アイブが優れた感性と能力を兼ね備えたデザイナーであることに疑問の余地はありません。上記のようなソフトウェアのUIも、以前と比べればIT業界のトレンドに即しつつより洗練されたものになったと言えるでしょう。しかしながら、そこにはハードウェアで見られるほどの高い完成度はありません。

iOS 7はUIのコントロールの識別しやすさという観点では、以前のバージョンに劣ります。アニメーションの使い方は冗長です。アイコンの色彩設計などにも問題があり、特に緑色は画面で見ると明らかに眩しすぎでした(この点は気付いたようで、iOS 7.1で修正されました)。iPhone 5以降画面が縦に拡大してきたにも関わらず、多くのコントロールが画面上部に置かれ押しにくくなっていることがほぼ放置されています(前の画面に戻る機能については横スワイプが導入されましたが、多くのアプリで挙動が一貫していません)。この問題はより画面の大きなiPhone 6 / 6 Plusでより悪化しています。

アイブほどのデザイナーですから、これからキャッチアップしてくる可能性は大いにありますが、その間に競合のGoogleは、Danger SidekickやPalm Web OSで常に高品質なモバイルUIを実現してきたマティアス・デュアルテの手によってAndroidのUIを劇的に向上させ、特に最新の5.0 LollipopではiOSに迫るか、通知など一部ではより優れたUIが実現されています。

常にUI / UXを競争力の源泉としてきたAppleにとってこれは由々しき事態です。Appleにできることは、アイブがUIデザインにおいてもハードウェアと同じ水準の能力を示すか、ソフトウェアUIの専門家を責任者に据えるかする必要があります。

アイブのキャリアは、職人というものの光と影に彩られています。Appleの成功にあたっては、アイブの製品開発に対する細部をこだわり抜く力が決定的な役割を果たしました。一方で、Appleがその概念を作り、常に業界をリードしてきたUIのデザインにおいては、アイブは研鑽を積んできたわけでもなく、詰めの甘さが目立つようになってきました。そのデザイナーとしての能力の眩しさが、Appleを救ったと同時に、これからのAppleの行く道を誤らせることになるのかもしれない。そんな予感を覚える一冊でした。