トランプとAI、あるいは啓蒙の限界


2016年も残すところあと1日。今年もたくさんの方々にお世話になりました。個人的にも自分の会社からAmazonに入社したり、初めての著書を出すなど変化が大きかったですが、世界にとっても激動の一年でした。

特に、トランプ大統領の当選やBrexitなどは大きな驚きを持って迎えられました。いずれも共通していたのは、マスコミを含むいわゆるエスタブリッシュメントからの強い抵抗があったにも関わらず、国民の投票によって選択がなされたということです。その背景には、テクノロジーの発達とグローバリゼーションの進展がエスタブリッシュメントに利益をもたらす一方、多くの人々がその恩恵を感じられずにいる現実があります。

テクノロジーの生み出した大きな利潤は一部の企業などが独占し、ピケティが指摘したように格差は拡大する一方。今後のAIとロボットの発達は、多くの雇用の喪失をもたらすでしょう。そしてグローバリゼーションは経済全体としてみれば拡大をもたらすものの、差別化のできない労働者にとっては外国の低賃金の労働者、または移民との競争を意味します。さらに中東の不安定化に端を発するテロの頻発も、排外主義の台頭に拍車をかけていきます。

このような現状は、今生きている私たちが自明のものと思っていた科学技術の恩恵への信頼やグローバリゼーションの肯定、ひいては理性主義や人権意識といったより根源的な価値観までもを揺さぶるにいたっています。

AIの時代の訪れ

特に私の専門領域であるテクノロジーの分野においては、世の中がモバイルインターネットに熱狂する水面下で、大きなパラダイムシフトが進んでいました--もちろん今年巷でも大きな注目を集めたAIです。2012年からの数年の間に、ディープラーニングに代表される機械学習技術の成果を耳にするようになってきており、個人的にも注目していました。人間の認知/判断/行動の能力を機械が肩代わりできるようになれば、その経済的/社会的インパクトはインターネットと同等かそれ以上になるのは明らかです。

そんな中で、たまたまITの歴史についての本を書かないかというお声がけをいただき、素人なりに勉強をして書いたのが「人工知能は私たちを滅ぼすのか」です。おかげさまで大きな反響をいただき、Amazon計算機カテゴリ1位、楽天テクノロジーアワードRuby prize、代官山蔦屋書店2016年上半期ベスト(科学/技術部門)などの成果を上げることができました。また多くの専門家や有識者の方と意見を交わす機会にも恵まれました。

啓蒙の弁証法

そんな中の一人で、玉川大学で哲学を教えられている岡本裕一朗先生とお話しした際に、「啓蒙の弁証法」という哲学書について教えていただきました。これはもう70年も前の本ですが、著者らはナチスドイツを逃れてアメリカに渡った亡命者たちでした。実はこの著者たちが取り組んだ問題は、上で述べた今日の世界のそれにとても近いものでした。

近代の世界を形作った啓蒙思想というものは、自然および宗教の抑圧から人間を解放しようとしたもので、結果的に科学主義や民主主義、平等主義などをもたらしました。しかし、ナチスはそのような啓蒙に対する反動だったかというと、民主的な選挙で政権を奪取しており、しかも科学技術への高い熱意で知られていました。

このような逆説がなぜ生じるのか、という疑問に対する著者らの答えは以下の通りです。人間は、自然や宗教を理性によって客体化することで、迷信や恣意性から逃れて理解/操作できるようにすることでその特権性を解体して征服しました。その結果訪れたのが、私たちの生きる近代の世界です。ところが、啓蒙の論理は、人間以外の自然だけでなく、人間自身にも適用することが可能です。その結果、人間の尊厳や存在の意味も、自然や宗教に対して行われたのと同様に疎外してしまえます。ナチスがユダヤ人や障害者らに対して行ったあまりにも非人間的な所業は、このように啓蒙と理性そのものに内在する性質によってもたらされたというのです。

これは70年前の議論ですが、ビッグデータとAIが私たちを客体化する今日の状況をあまりに正確に描写していて驚きます。IoTとウェアラブルデバイスは、私たちをますますビッグデータの束として客体化するでしょう。そして経済と労働の社会システムは、生産性の旗印のもと私たち一人一人の生を、効率的に運用するようになります。

新しい対立軸

現代のエスタブリッシュメントが、トランプ大統領の誕生やBrexitの可能性を見誤ったのは、啓蒙という価値観の恩恵に預かる側であるため、その絶対性を信じて疑わなかったからです。ですが、多くの人々は今、テクノロジーとグローバリゼーションという啓蒙の申し子が、自らに奉仕するものではなく、むしろ疎外するものだと感じるようになっています。その結果が、啓蒙の価値観からすれば反動的と思えるような意思決定が立て続けに起こるという事態です。

このように、2016年という年は多くの歴史的な事件が起こりましたが、その背景にはより大きな世界観、価値観の揺らぎが生じています。アドルノとホルクハイマーは、啓蒙が自らの危険性を乗り越えるためには、自らの暴力性についての理性による反省が必要だと論じました。これはそのまま私たちテクノロジー産業の当事者にも当てはまります。私たちがテクノロジーを人間の尊厳や価値と一致させるようにデザインしない場合、そこにはとてつもない人間の疎外、そして疎外された人間からの苛烈な反撃が待っているでしょう。