職人の光と影:アイブはAppleのUIを立て直せるか


Appleのインダストリアルデザイングループを長らく率いてきた、ジョナサン・アイブの評伝が和訳されて刊行されました。ジョブズの在中から、ジョブズ以外でほぼ唯一対外的な発信に携わってきたこともあり、製品開発の主導的な役割を果たしていると言われてきました。本書を読むと、彼とそのチームが、製品の企画から製造工程まで、これまで知られてきた以上に大きな役割を果たしてきた一端が垣間見えます。

本書はアイブの家庭環境についての記述から始まります。アイブの父マイクは腕のいい銀細工職人であると同時に優れたものづくりの教育者でもあり、そうした血筋と環境がアイブのデザインの才能を育んでいきます。製品に見られる偏執狂的なまでの細部へのこだわりが、いかにして磨かれていったかがわかります。ジョブズは偉大なビジョナリーでしたが、アイブに代表されるような、実務のディテールを知り尽くした職人の存在なしには、今日のAppleの製品が具現化することはなかったでしょう。その姿はただただエキサイティングであり、今日のものづくりに関わる人であれば、必ず得るものが多々あるでしょう。

企業の中で成功を収めるのは、決して綺麗事だけではありません。NeXT時代からジョブズのハードウェアを支えたジョン・ルビンシュタインや、「iPodの父」として知られるトニー・ファデル、MacOS XやiOSの開発責任者を務め一時はCEO候補とも言われたスコット・フォースタールらがAppleを離れた影には、アイブとの確執があったとも述べられています。

特にフォースタールの退社後、アイブはソフトウェアのUIも担当するようになります。その成果がiOS 7以降やMacOS X Yosemiteのフラット化したUIです。アイブが優れた感性と能力を兼ね備えたデザイナーであることに疑問の余地はありません。上記のようなソフトウェアのUIも、以前と比べればIT業界のトレンドに即しつつより洗練されたものになったと言えるでしょう。しかしながら、そこにはハードウェアで見られるほどの高い完成度はありません。

iOS 7はUIのコントロールの識別しやすさという観点では、以前のバージョンに劣ります。アニメーションの使い方は冗長です。アイコンの色彩設計などにも問題があり、特に緑色は画面で見ると明らかに眩しすぎでした(この点は気付いたようで、iOS 7.1で修正されました)。iPhone 5以降画面が縦に拡大してきたにも関わらず、多くのコントロールが画面上部に置かれ押しにくくなっていることがほぼ放置されています(前の画面に戻る機能については横スワイプが導入されましたが、多くのアプリで挙動が一貫していません)。この問題はより画面の大きなiPhone 6 / 6 Plusでより悪化しています。

アイブほどのデザイナーですから、これからキャッチアップしてくる可能性は大いにありますが、その間に競合のGoogleは、Danger SidekickやPalm Web OSで常に高品質なモバイルUIを実現してきたマティアス・デュアルテの手によってAndroidのUIを劇的に向上させ、特に最新の5.0 LollipopではiOSに迫るか、通知など一部ではより優れたUIが実現されています。

常にUI / UXを競争力の源泉としてきたAppleにとってこれは由々しき事態です。Appleにできることは、アイブがUIデザインにおいてもハードウェアと同じ水準の能力を示すか、ソフトウェアUIの専門家を責任者に据えるかする必要があります。

アイブのキャリアは、職人というものの光と影に彩られています。Appleの成功にあたっては、アイブの製品開発に対する細部をこだわり抜く力が決定的な役割を果たしました。一方で、Appleがその概念を作り、常に業界をリードしてきたUIのデザインにおいては、アイブは研鑽を積んできたわけでもなく、詰めの甘さが目立つようになってきました。そのデザイナーとしての能力の眩しさが、Appleを救ったと同時に、これからのAppleの行く道を誤らせることになるのかもしれない。そんな予感を覚える一冊でした。