若者のTwitter炎上を、デザインの視点から考えてみる


おバカな若者

バイトなどの若者が、バカをやってソーシャルメディアに投稿して炎上することが話題になっています。散々話題になっているにも関わらず問題の発生が相次ぎ、ついに週刊誌などのマスメディアも取り上げるようになってきました。

この問題については、色々な視点からの意見があります。曰く、若者のモラルが低下している低賃金な非正規雇用が増えたから世間の空気が過剰反応するように変わってしまった、など。ただ、こうした行為の理由を社会の変化に求めるのは無理があるかと思います。若い奴はバカをやるもので、それはそれだけのことでしかありません。

ただし、スマートフォンやソーシャルメディアが広く普及したことで、内輪の悪ふざけが世の中に拡散してしまう、という違いは発生しています。その中でも、リテラシーの不足から、情報をパブリッシュすることの怖さをわかっていない、という議論には頷けるものがあります。

特に、上記の本田さんの記事は、重要なポイントを衝いています。いま今インターネットサービスは、何が起きているのかエンドユーザーにとってはブラックボックス化していています。特に、自分のポストした情報が、いったいどこまで共有されるのか、共有される可能性があるのか、それがユーザーの持つ身体感覚とズレてきている。それが、これらの問題が起こっている本質的な理由なのです。

これが僕の博士論文のテーマでした。人類の文明は、人間の知覚システムの能力を前提に、誰がどんな情報にアクセスできるか、をコントロールすることで、場所の中に社会的な秩序をデザインしてきました。講義室ではみんなが講師に着目するようにレイアウトする。会議室での中の会話は外には聞こえないようにする。これらは、人の視線や、聴覚などの特性に応じてデザインされてきました。

しかし、マクルーハンが述べたように、メディア技術は人の知覚の時空間的拡張です。講義室にいても友達とお喋りができる。会議室の様子を世界に向けてツイートすることができる。このように、場所の意味というものが、メディア技術によって混乱をきたしてきているのです。

しかも、ムーアの法則メトカーフの法則のおかげで、とてつもない速度でその拡張は進んでいます。ユーザーのリテラシーを問題にして、教育や啓蒙によって問題を解決しようとする方法もあるでしょう。しかし、これだけのスピードで変化が起きているときに、キャッチアップして教育のプログラムを作って運用することは困難です。

また、リテラシーの問題にすることは、我々サービスデザイナーとしては、製品のユーザビリティの低さを、ユーザーの使い方や能力の問題にするのと同じです。個々の例で、バカなことをやって痛い目を見るのは本人の責任です。しかし、誰が、どの情報にアクセスできるのか。それをいかにしてユーザーに理解させるのか。結果的に、どのような場所になるようサービスを設計するのか。それはサービスデザインの負うべき責任です。