ミシェル・ウエルベック「地図と領土」


地図と領土

ミシェル・ウエルベックの新作「地図と領土」が刊行されたので読みました。ウエルベックは「素粒子」と「ある島の可能性」しか読んでない程度のニワカなんですが、この作家は本当に凄い。

「素粒子」「ある島の可能性」の凄さは、恋愛や家族愛の不可能性という、はてな村か宮台真司みたいなイシューを、静かな諦観と恐るべき暴力性を持った、きらめくような文章で綴ったことにあります。ブンガクが世界を語ることを諦めてしまった世界で、ブンガクの力を存分に発揮しながら、そこに描かれているのは世界へのシニカルな絶望しかない。その諦観にシビれます。

ウエルベックのそんな視線が、本作では現代の産業社会に対して向けられます。主人公ジェドの創作活動を通じた、工業製品に対するまなざしや、産業社会の大立役者に対するまなざし。そして、それらの批評的な表現もまた、アートという産業に飲み込まれ、ジェドに予想もしなかったfortune=富をもたらすという皮肉。そしてその経済的価値が結果的にもたらす惨劇。本作の登場人物は、誰しもが産業と経済の渦に飲み込まれ、ほとんど誰も幸福な人生を遂げることはできません。

建設会社の経営者として成功した主人公の父が、若い頃はウィリアム・モリスに傾倒していたというエピソードなどが象徴的です。モリスは、工業社会へのアンチテーゼとしてのアーツ・アンド・クラフト運動の創始者。エピローグに描かれる30年後の世界は、西海岸的な起業家精神に、モリス的なクラフトワークが組合わさった新しい経済の萌芽を予感させて終わります。ウエルベックがラストに、その予兆とはいえ希望のある描写を持ってきたことに、びっくり。

読んでいる最中ずっと背筋がゾクゾクしながら、読むのを止めることができませんでした。野崎歓の訳も読みやすく嫌みがなくて好印象。